ここでは『人を見抜く方法』の国家の人格の中から、日本の人格を一部抜粋しています。
文中に出てくるACというのは、エゴグラムという人格診断の用語で
AC(場に合わせる子供):協調性・顔色を伺う・自信がない・ひねくれる
という特徴があります。
風土とACの関係性
米というのは小麦よりも効率の良い作物で、水田の広さの割に多くの人口を支えることができます。
山間部が多くて人々が密集して住む日本では、必然的に共同体意識が求められ、身勝手な人はコミュニティに入れてもらえませんでした。
そういった社会で子孫を残せるのはAC(協調性)がある人で、何世代も掛け合わされていく内にACが国民性となりました。
大規模集団をつくることができる国民性は工業化社会にも適しているため、個々の幸せはさておき、日本が先進国に入る礎になりました。
逆に国という概念がない地域では共同体意識の対象が親族までで、赤の他人とはライバルや敵対関係でした。
そういった地域では好戦的で我を押し通す者が生き残り、それが何世代も続いて凝縮されていきました。
彼らは我の強さゆえに集団化できないので発展しづらく、周囲の人との争いも頻発するため、他国に進出することを考えます。
しかし地域の住みにくさの根本原因は彼らのAC(ルールに従う)が低いからなので、不法入国した先の国で新たな争いを起こしてしまいます。
彼らの行動に対して一般の日本人が一段と強い拒否反応を示すのは、彼らとのACの開きが他の先進国より大きいからです。
不法滞在者の問題を大きくする人
日本人の中で不法滞在者に法の抜け穴を教えたり、取り締まる官庁を非難する者がいますが、これは優しさからの行動ではありません。
彼らは生い立ちや特性の偏りで自己不全感を抱えており、社会のマジョリティである普通の人々との人間関係も苦手としています。
疎外されているように感じている彼らは、自らの姿を不法滞在者に重ねて、社会に保護するよう訴えています。
彼らが本当に救いたいのは不法滞在者ではなく、自分自身なのです。
これと同じ構図は、動物に自分を重ねて社会を糾弾する攻撃的なヴィーガンや、LGBT運動にも見られます。
日本はAC(協調性・従順・慎重)が最も高い
日本人の特徴はACと重なる部分が多いです。
他人に迷惑をかけない事を第一にして、指示された事は強制力がなくても従います。
FC(わがまま)のように他責ではなく、ACで自責の念に駆られやすく、それが自殺の多さにつながっています。
和を尊ぶのもAC(場の空気を読む・人の顔色を伺う)に起因します。
このおかげで大災害が起こった時にも、周囲と協調して助け合います。
ACが高い集団は空気を読み合うことが常識となっているので、その中で空気を読むことが苦手な人にとっては、目に見えない地雷が多くて面倒な社会に感じます。
ACは謙虚で他人からの評判を気にするので、相手に失礼な印象は与えません。
ゆえに外交では相手国になめられ、日本が譲歩する場面が多く見られます。
国内においてもジリジリ上がる税金に対して、さほどの抵抗をすることなく我慢して受け入れてしまうところがあります。
ACはただ従順なだけではなく、うっぷんを溜め続けて一線を超えたら大きな爆発を起こします。我慢して抱え込んだ分だけ、爆発する時は双方に大きな被害が出ます。
ACは慎重なため、新しい変化に対してもFC(行動的)優位な国々と比較するとワンテンポ遅れます。
しかし日本は遅いことで先行する国の失敗を参考にして、堅実に歩みを進められるというメリットがあります。
日本は犠牲を伴う急激な変化より、世代交代を待つようにゆっくりとした変化を好む傾向があります。
ACは罪悪感を抱く
ACは何かを言われると反発しないで、自分に悪い部分があるんじゃないかと思います。
特に海外を巻き込んで、『日本人はこんなに非道』と言われると思考停止に陥ります。
大勢の前で恥をさらされ、顔を真っ赤にして立ちすくむような状態です。
だから様々な要求を通そうとする者たちは、日本人の良心を人質にとるような手法をとります。
ただその手法がとられ過ぎて、最近ではあまり通用しなくなってきました。
日本人が自責の念を抱きやすいところは、犯罪率の低さにも関係しています。
他責的な国民性の国では仕事でお金が稼げないと強盗に走りますが、日本人は他人を傷つけるくらいなら自殺をします。