ウシジマくん編(39~46巻)ほか
男子はどっちが強いのかという比較に興味を持つ。
その理由と共に、ヤクザと半グレのどちらが強いのかを考察する。
今回の人間学は趣向を変えて、個々の人物ではなく集団に焦点をあててみたい。
※現在ヤクザ職に就いている方は、読まない事をオススメします
ヤクザの悪口を言う半グレ
半グレの二人が車の中で雑談をしている。
「ヤクザの左海(サカイ)知ってる?」
『ああ。あのジジイ
こないだ飲み誘われていやいや顔出したらよ、
チェーン店の払いもできないくらい金ねーから
会計こっちに回されたよ。』
ヤクザは本来、無理にでも貸しを作って倍にして返してもらう職業だ。
それが2010年代後半にはチェーンの居酒屋の支払いさえできず、半グレに奢られる始末。
ヤクザには一定の影響力があるから、半グレもたまに接点を持つ。
その飲みの席でヤクザが飛ばしの携帯(足がつかない携帯)を3台で7万5千円で売ると言うので、半グレが金を払った。
『そしたらそのままトンズラしやがったんだわ。
100万単位なら分かるけど
たった数万でやるかね?』
これはもうシノギなどではなく、生活費に困ったあげくの寸借詐欺だ。
闇金のウシジマくんもヤクザの金の無さを語っている。
「今までうちに金借りにきたヤクザを何人も見てきたけどな。
シャブセックス漬けにした言いなりの女に食わせてもらうくらいしか
生きてけねーだろ。あいつらは。」
ヤクザは伝統芸能
組長の中でも既得権益で逃げ切れた者の家は豪華で、趣味の悪い置物がギッシリある。
確かにヤクザが羽振りのいい時代はあったが、他の伝統芸能と同じく廃れつつある。
ヤクザの歴史は古く、江戸時代より前には博徒(バクチ)や寺社の催しの出店を決める縄張りなどを行っていた。
他には旅芸人の興行を取り仕切っていた名残りで、最近まで芸能関係とヤクザは近い関係だった。
ヤクザの絡み方がやたらと大衆演劇っぽいのも、舞台を間近で観ていたためだろう。
「おい!!コラァッ!!
この店はぼったくりバーか!!?」
ヤクザAが一般客を装って店で騒ぐと、店にいるもう一人のヤクザBが立ち上がる。
『テメェーごときにオーナーが来るかよ!?
半端者の半グレが何調子こいてンだ!?』
そしてヤクザBが騒ぐ役のヤクザをボコボコにして、店がヤクザBにお礼を言ったところからシノギの交渉が始まる。
強引だが目の前で暴力が繰り広げられると、店の人間は委縮する。
ヤクザの演劇はフォーマット化されていて、そのかけあいやオチの暴力などの構成は連綿として引き継がれてきた。
実際にヤクザから役者になった者もいて(その逆も)、
「やくざと役者は一文字違うだけ」
という言葉を残している。
ヤクザが洒落がきいた言葉を生み出せるのは、シノギの時にフリースタイルラップバトルみたいな掛け合いをしているからだ。
リズムこそ浪曲みたいだが、タトゥーもクスリもやるヤクザは立派なラッパーだ。
交渉の型が決まっている
ヤクザの交渉は伝統芸能で、兄貴分につきっきりで学んで継承していく。
交渉の基本は何でもいいからアヤ(文句)をつけて、主導権を握ることだ。
クラブで飲んでいるヤクザのところに、お近づきのしるしにとビールを持ってきた別の組のヤクザに対し
「おい。オレにテメェの飲みかけよこすのか?」
挨拶に来たヤクザがすぐに新しいビールを注文すると、今度は
「そんな安い酒飲めるかよ!?」
さらに
「つーか、テメェ座ってる人間に挨拶すンのに、
立ったままモノ言う奴がどこにいンだ!?
行儀悪ィなァ!?」
それで何だかんだで謝罪を引き出す。
交渉の主題では無理が通せなくても、どこかでアヤをつけて謝罪を引きだし交渉をひっくり返す手口だ。
謝罪をしたら終わるというのはカタギ(一般人)同士の話で、ヤクザは謝罪を引きだしてからが本番。
だから絶対に謝ってはいけないのだが、そうすると『筋が通らない』などと人間性の話に論点をズラすから面倒くさい。
そんな面倒くさいヤクザが暴力を振るう場合、回りくどい事をする。
例えば店にみかじめ料のお願いをしに来たヤクザが、いきなり自分の手下を叱ってぶん殴る事がある。
これは店の人間をぶん殴っては傷害罪になるからなのと、店のために行儀の悪い手下をぶん殴ってやったという恩着せのためだ。
これも大衆演劇の流れをくんだ劇場型交渉で、オチで必ず金をふんだくっていく。
殴られる手下もそれがシノギの勉強になり、出世をして今度は自分が下の人間を殴る役になっていく。
徒弟制のヤクザはそうやって演目を伝承していくのに対し、自由な半グレの収入は本人の才能に比例する。
お笑いに例えると、半グレは学生時代から面白い奴がそのままお笑い芸人になるようなものだ。
それに対してヤクザは、あまり面白くない人でも決まった型を覚えれば愉快な話ができるようになる、落語家みたいなもの。
半グレとヤクザのシノギの違い
半グレが台頭し始めた頃はヤクザのシノギを部分的に真似るだけだったが、徐々にヤクザの領域を侵すようになってきた。
そこでヤクザとぶつかるが、暴対法によりヤクザが手を出しにくい状況で半グレが勢いづいた。
そして半グレは渋谷・六本木に進出して、IT経営者と接点を持ち新しい技術を吸収していった。
対してヤクザは人の弱みや欲をシノギにする時代が長かったので、情が入り込まないデジタルへの理解が遅れた。
それにヤクザはすぐに小指を切り落としてしまうのでEnterキーが押せず、キーボードを叩く速度でも半グレに後れを取った。
ヤクザが変化への対応をぐずぐずしている内に、半グレは出会い系サイトやアダルトサイトの架空請求で稼いでいった。
半グレの犯罪はシステム化されていて、例えば闇金は一斉にメール送信をすればカモの方から連絡をくれる効率のいいものになった。
ヤクザと違い一般人を的にする事を躊躇しない半グレは、オレオレ詐欺を組織的に行うようになり、それがアポ電強盗などにエスカレートしていった。
家にいるだけで何の落ち度もないおばあちゃんからお金を獲るのは半グレの発想だが、最近は食い詰めたヤクザが真似をするようになってしまった。
ヤクザのシノギ
時計の針を少し戻し、ヤクザの滑皮が見習いの頃も含んでシノギを解説する。
ヤクザは大よそ、人と人が交わる所でシノギを作ってきた。
文字通り男女の交わりのスケコマシもその一つだ。
ヒモ(女に依存)のヤクザでも手取りで年収1000万円くらいはいく。
色々引かれるサラリーマンなら額面1,500万円に相当する額だ。
なぜヤクザがモテるのかは後述するが、モテる事もヤクザの才能だ。
手形取引
現在は減少したが、かつては会社や自営業が支払いに手形を振り出して使用していた。
手形は支払う約束をした念書みたいなもので、受け取った人は銀行に持っていって振出人の口座に残高があれば換金できる。
誰かから受け取った手形を別の誰かへの支払いに使う事も可能だ。
その際には裏書といって手形の裏に自社の名前を書くが、振出人が倒産すると裏書人に請求が回ってくる。
「あんたんとこの松山建設(ターゲットで裏書した会社)から受け取った手形が不渡りになったんだしよぉ~
申し訳ないけど800万円。
今すぐ耳を揃えて払ってね。」
支払いを約束する手形が人と人の間を回るのだが、ヤクザはこういうアナログな隙間に入るのが好きだ。
倒産するとわかっている会社に手形を振り出させて、かつターゲットにする会社の従業員を抱き込んで裏書させ、ヤクザの息のかかった会社への支払いに使わせる。
そして計画通り振出人の会社が倒産すると、ヤクザが手形を持ってターゲットの会社にやってくる。
ターゲットはゴネるが裏書をしている事実があるので、内心で非を認めている部分もある。
ヤクザがアヤ(たかる・文句)をつける時、僅かでも相手が罪悪感を覚えている部分を徹底的に責める。
柔道では押して引いて重心を崩して投げ飛ばすが、ヤクザはそんな風に人を翻弄して金を巻き上げる。
『一本取られた!』 と思った時には、本当に一本(1000万円)くらい取られている。
倒産整理
「こないださァ、潰れたおもちゃ工場
丸ごと買い取ったンだけど、
おもちゃの在庫1千万円分あんだわ。
それ、300万円でどお?」
ヤクザが倒産する会社をいち早く知っているのは、自らが倒産させるからだ。
ヤクザを隠して金融業の姿で金を借りたがっている会社をおびき寄せ、審査のために財務内容をチェックする。
そして財務基盤が弱い会社なら貸す素振りを見せておいて、ギリギリでハシゴを外すので会社は不渡りを出す。
そしてグルのヤクザが出てきて不渡りにアヤをつけて、ターゲットの会社を揺さぶる。
そこに再び金融業の姿をしたヤクザが出てきて、助けるフリをして今度は資産の全てを抑えて倒産させる。
これも押して引いて絡めとる、ヤクザの基本パターンの応用だ。
倒産させた会社からこんなくたびれたぬいぐるみさえ持って来て、どこかの誰かに押し付けて金に換えてしまう。
倒産のように人の心が不安で乱れる時、ヤクザは祭り気分でウキウキする。
このあたりの時代のヤクザはまだ、企業の仕組みなどを勉強してシノギに取り入れる勤勉さがあった。
ぼったくりバー
ヤクザが作るシノギは、被害者の落ち度になるようなポイントがある。
ぼったくりバーもそんなシノギ一つで、セット料金(ポッキリ)は3,000円と言って店に誘い、メニュー表に小さく『氷は別料金で1万円』と書いてあるなどコントみたいな仕立てだ。
あるいはデート商法のように女が店に被害者の男を連れ込むパターンもある。
男の奢りで女が超ミニグラスの酒をわんこ蕎麦のようにパカパカ飲むが、実はその一杯が高額だったりする。
そんな茶番劇でもヤクザは真剣に芝居をする。
実際に飲んでしまった事実に対し、ヤクザは延々とアヤをつけて金を巻き上げる。
店と客の料金の揉め事は民事不介入で、実によくできたシノギだったため全国にコピーされて広がった。
だがこのコント型シノギも、以前はゴネる客に店の奥からヤクザが出てきてオチになったのが、ヤクザをにおわせただけで逮捕されるようになりやりにくくなった。
現在はヤクザが前面に出なくなったものの、シノギとしては存続している。
ケツモチ
他店とトラブルになったホストが、ケツモチ(事故処理係)のヤクザに相談する。
歌舞伎町みたいに利害の対立が多い場所では、何かしらの衝突事故が起こる。
すると水商売のア〇サダイレクト(保険のホットライン)のヤクザに連絡がいき、当事者に代わって事故処理が行われる。
ヤクザの評判はこういう時の解決力で上がるのだが、最近は争いごとなどしない。
ヤクザ同士が喫茶店で適当に話をして、費用は相談者負担にして金で解決する。
ヤクザは別の一家に兄弟分がいて、身内のように話せる制度がある。
ヤクザは育った家庭でも稼業でも複雑な家族構成だが、これが無駄な抗争を防いでいる。
だが抗争が減った最も大きな要因は、組員が何かをすると暴対法で組長にまで累が及ぶようになった事だ。
ヤクザの強みは人間心理を知り尽くした組長が、手足となる若い衆を使う事で最大のパフォーマンスをあげられる事だった。
だがおじいさんになってからの刑務所暮らしはつらいから、暴対法以降の組長は組員に喧嘩をしなよう厳命するようになった。
クスリのシノギ
クスリは組では扱わないと言う所が多いのは、ヤクザは建前として治安維持で民を守る側だからだ。
だがシノギとしては割がいいし、ヤクザがやらなくても誰かがやる。
そこで組としてはご法度だが、末端の組員が勝手に扱う分には黙認している。
ヤクザがクスリを扱っている事は誰もが知っているのに、アイドルがトイレに行かない設定を守るように、クスリはご法度と言い続けている。
裏DVD
人間の欲望をシノギにするヤクザは、裏DVD(モザイクのないAV)までは時代に対応できた。
だがネットの発達により、半グレでさえない者が海外のサーバーからアダルト動画を流すようになると、裏DVDのシノギは廃れてしまった。
店舗があればヤクザはそこに行って、業者を取り込んだであろう。
だがサイト運営者が電脳の世界に潜ってしまうと、小指が少ないヤクザは追い込みがかけられない。
よろず相談
「ヤクザはな、漢字で書いたら役座だ。
義理人情で街の人の役にたってナンボじゃねーか。
じゃねーと絶滅危惧種になっちまうよ。」
弁護士が少ない時代、市井の人にとってヤクザが紛争解決の手段だった。
店のツケも迅速に回収してくれたし、やさぐれた生活をする息子を更生させてほしいという親の相談にも乗る。
いずれもボコボコに殴るのが解決手段なのだが、ともあれ庶民にとって身近で頼りになる存在だった。
組から給料はもらえない
組は会社ではなく、フランチャイズチェーンみたいなものだ。
組員は組から給料を貰うのではなく、逆に組員が看板の使用料として組に上納金を納めて、組の威光を借りてシノギをする。
上納金以外にも出費がある。
「おい、滑皮ぁ!親父(組長)の誕生日に時計買うから金回せ。」
ちょっと金を持っていると、兄貴や組長に何かと理由をつけて金品をせびられる。
だからヤクザは各々の稼ぎやシノギを他の組員に教えたがらない。
ちなみにヤクザがやたらとゴルフコンペとかイベント事が多いのは、集まりの度に参加費を徴収するからだ。
警察がゴルフ場やホテルからヤクザを排除しているのは、金が回らないようにするためである。
ヤクザと半グレの大きな違い
暴走族が多かった時代、ヤクザと半グレは暴走族の出身者が大半だった。
大きな違いは半グレは惰性でなるのに対し、ヤクザは加入すると住み込みで働きながら行儀を習う期間がある事だ。
暴走族は家庭で習うような基礎教育を受けていない者が多いため、組に入れると部屋住みで当番をさせながら人間の型を作っていく。
人と人の間に入ってシノギをするヤクザを育てるには、動物から人へと調教しなければならない。
当然、反抗的な若者が多いから言葉だけでは通じないので、徹底的にヤキを入れる。
ヤキ入れは文字通り、ぶっ叩いて人間の形に成型する作業だ。
この期間を乗り切れる新人は2~3割くらいで、大体は逃げたり破門になったりする。
だからこの期間を乗り越えたヤクザがバイトをすると、キビキビとよく働く。
一方、嫌な事を避ける自由な半グレは責任感が身につかない子供のままで、後にヤクザと差がつく。
ヤキを入れ続ける
ヤキを入れて人間の形にしてからも、ヤキ入れはさらに続く。
人の型を作ったあとは、人としてのリミッターを解除するためにヤキ入れをする。
日常のごく些細な事で舎弟は思い切りぶん殴られるから、戦々恐々とする。
この高ストレス状態がヤクザには重要で、どんどん感覚が研ぎ澄まされてギラついた野生の人間になっていく。
半グレのタトゥーとヤクザの刺青の違い
半グレのタトゥーは腕や首、時には顔など一目でわかる場所に彫られる。
威嚇のためのタトゥーだが、これだと出オチ感が否めない。
それに対してヤクザの刺青は真逆で、組事務所に飾られたこの人形のように、
服で隠れる場所に彫られている。
最初は刺青を隠しておき、口論の相手が調子に乗って罵ってきたところで袖をめくり刺青を見せる。
相手が
(ヤクザ相手に暴言を言い過ぎちゃった・・・)
と青ざめたところでヤクザのターンになり、暴言の分だけ金をふんだくる。
ヤクザをにおわせると捕まる今では使えない術だが、ヤクザは刺青の効果的な使用法を心得ていた。
刺青のもう一つの効果
ヤクザの和彫は色付きでビッチョリと墨を入れるのが特徴だ。
昔はロクな染料がなくて、この墨によって肝臓にダメージが蓄積していった。
そしてヤクザの健康寿命が終わる50代くらいで、ヤクザのまま死ぬことができた。
だが今は健康的な染料のおかげでヤクザは死ねなくなり、江戸時代より遥かに長い生涯を送るようになった。
早死に前提で作られているヤクザ職で長生きしてしまった者は、50代を過ぎたら泥棒・ホームレス・生活保護に身を落す。
落ちぶれるのを嫌がり自殺する者も多く、結局ヤクザは抗争がなくてもヤクザを殺す職業だ。
ヤクザはなぜモテる
淫行条例がなかった頃は、ヤクザはバカみたいに歳の離れた10代の愛人を囲った。
その方法は無理やりではなく、口説き落とす事が多い。
男がモテるのは、テストステロンというホルモンによるところが大きい。
これは男らしさの源であり、筋トレでも分泌されるが暴力行為に接する事でも分泌される。
ヤクザ映画を観終わった男たちがガニ股で肩で風を切って歩く現象も、テストステロン値が上がったからだ。
そして女と相対した時にも分泌されるので、ヤクザはやたらとキャバクラに行く。
つまりヤクザはテストステロンが発見される前から、全ての行動がテストステロン値を上げることにつながっていたのだ。
『男を上げる』とは即ち、テストステロン値を上げることだ。
もし日本で最初にテストステロンが発見されていたら、間違いなく『ヤクザ汁』と命名されていただろう。
ヤクザ汁が濃い男はテリトリーを拡大したがるので、ヤクザが座る時はハーレーに乗っているかのように踏ん反りかえって場所をとる。
ヤクザらしい行動で汁が出て、その汁によってまたヤクザな行動をしたくなるから、ヤクザ汁の無限ループ状態だ。
ヤクザ汁というモテホルモンがあふれ出ているため、スキンヘッドのヤクザは勃起した亀頭感が強い。
一般の男子が『どっちが強い』という話題が好きなのも、テストステロンを高めたいという心理からだ。
ヤクザの本妻
ヤクザの本妻は意外と地味で、シッカリと身の回りの事ができる女が好まれる。
豚をペットにしている人が食べる豚と飼う豚を別々に考えているように、ヤクザも本妻と愛人は分けている。
愛人は自分の楽しみの為と、いざとなったらお金に換えるために水商売の女が望ましい。
それに対してヤクザの本妻はしっかりしたカタギの女が望ましい。
カタギの女がいてヤクザが自然に立ち寄れる場所は、ケガで運び込まれる病院くらいだ。
看護婦の女にとっても死にかけの年寄りばかりの職場に、テストステロンギンギンのヤクザが来ると目につく。
テストステロンの弊害
テストステロンの過剰分泌には弊害もあって、疑心暗鬼になりやすい上に好戦的なためにトラブルが絶えない。
トラブルをシノギにするヤクザにはその方が都合がいいのだが、健康にもよくない。
ヤクザが平常時からいきなり憤怒して、レッドゾーンに入るのもテストステロンによるものだ。
ヤクザが興奮すると大体、男梅みたいな顔になる。
大きな胸の女を前にしてもこんな顔をするが、おっぱいに親を殺されたわけではなく興奮しているだけだ。
このようにヤクザはいつでもエンジン全開だが、たびたびの憤怒に心臓が弱ってしまう弊害がある。
ヤクザがしおれてきた理由
長らく平和な時代が続くと他を威圧して押しのける男は必要とされず、テストステロン値の低い社会になる。
ヤクザの世界に入ってくる若者も暴力性が下がり、ヤキを入れると警察に駆け込む者まで出るようになった。
だから最近は見習いヤクザが運転中に道を間違えても、アニキが後部座席から革靴で後頭部を蹴り飛ばす事はなくなった。
こうしてヤクザ汁の分泌が止まったヤクザはしおれていった。
女性が働くようになった現代、求められるのは共に育児ができる優しい男だ。
男気だのなんだの言っても、女にモテない職は男が集まらなくなる。
今の人気はテストステロン値が低くて、安定している公務員の男だ。
日本のテストステロン値が低い事は、外交交渉で押され気味な事を見てもわかる。
人材の確保
半グレの人材は暴走族・格闘技団体がヒエラルキーの上位に居て、後は後輩や怪しい求人に応募する底辺などで構成されている。
上位の半グレはオレオレ詐欺やアポ電強盗などの犯罪の画を描き、捕まりやすい受け子・出し子は使い捨ての底辺にやらせる。
犯罪の募集に乗る底辺も悪いが、半グレはしばしば底辺へのギャラを払わなかったりする。
こんな信頼関係のない組織だから不定形で、人数は流動的だ。
それに対してシマを維持するヤクザは一定の人員を必要とする。
ヤクザは中卒でも年収2・3千万円になる仕事だったが、今は稼げない上に不便が多い。
「暴排(暴力団排除条例)で預金通帳を作れない、部屋を借りれない、
ホテルや飲食店も入れない。」
スマホが必須の時代に契約が許されないヤクザは、様々なサービスが利用できない社会的弱者だ。
それでもほとんどのヤクザがスマホを所持しているが、他人名義だからいつでも警察が詐欺でひっぱれるようになっている。
ヤクザになると不利なことばかりだから、若者が集まらない。
採用に悩んだオナクラ(風俗)が生み出したコピー
脱がない・舐めない・触らせない
のように、ヤクザもヤクザ臭を消すため
【彫らない】
【詰めない】
【殴らせない】
で組員を募集したほうがいいだろう。
ヤクザはオナクラか!と怒る本職もいると思うが、人と人との摩擦で稼ぐという意味で組員はオナクラ嬢と言える。
で、結局ヤクザと半グレはどっちが強いの?
半グレはいつでもジムや道場に行って鍛える時間がある。
一般人の扱いだから、ヤクザと違ってケンカの量刑が軽いから無茶もできる。
無敵感から若者は苦手分野の克服を怠り、腕力ばかりを頼りにする。
だから格闘家と同じように30~35歳を過ぎると、若い半グレに腕力では叶わない場面が出てくる。
そうなると自分が虚勢を張れる場所だけに逃げ込み、負け犬の茶髪・ガラ悪いおじさんとして細々と生きる。
あまりに恨みを買った人間が多い場合は、力が衰えると庇護を求めてヤクザの盃をもらう。
だが一度負け犬根性がつくとヤクザになってもパッとしない。
半グレの組織力
半グレは組織としては動物的で、サルの群れのように力の優劣によって序列が決まる。
芸がなく配下の者を恐怖で支配するので、下の者は恨みを抱いていつかひっくり返そうと狙う。
組織を持っても上の者はいつ下克上をされるか不安で神経がすり減り、30代で破綻していく。
何かが欠落した人間の集まりには拠り所となるものが必要だが、半グレにはそれがない。
半グレとヤクザはどちらが強いかという前に、半グレは自滅をしてしまい勝負にならない。
一方ヤクザは面倒なしきたりが宗教の役割を担い、結束力につながっている。
後発のベンチャーがいつでも勝てるわけではなく、伝統の重みに半グレは飲み込まれる。
半グレの寿命が35歳くらいなのに対し、ヤクザの健康寿命は50歳くらいまでは続く。
この差は何か?
半グレよりヤクザの方が長く続けられる理由
半グレは脅すという押しの一手で人を従わせようとする。
だが人間は恐怖にさえ慣れてしまうものだ。
それに対して人の心を揺さぶるのに長けたヤクザは、押したり引いたりして相手を絡めとる。
見習いのヤクザにヤキ入れをしたかと思えば、すぐに優しく手料理を食わせたりする。
「朝飯食ってけ滑皮。
俺が作ってやる。」
女をひっぱたいて優しく抱いて離れられなくする、DV男の手口だ。
見習いは常に兄貴分について回り、その手慣れた仕事ぶりに心酔しながらヤクザの流儀を継いでいく。
だから見習いは成長した後でも兄貴分を慕う。
ヤクザが面白い理由
半グレが喜怒哀楽の怒しか持ち合わせていないのに対し、ヤクザは全てを兼ね備えている。
だから様々な場面に対応できる。
闇金のウシジマくんの債務者に、利息を払う名目でウシジマくんを呼び出させるヤクザ。
騙された形のウシジマくんだが、債務者が利息を払う約束で来た事を譲らずにヤクザに立て替えさせる。
ヤクザは他人の筋違いを責めの口実に使う分、自分も約束事は蔑ろ(ないがしろ)にできない性分だ。
「とりあえず顔貸せや、丑嶋ァ。」
と、キッチリと金を払った後でウシジマくんをやんわり拉致するヤクザ。
「顔貸すにも利息取んなよ丑嶋ァ。」
ウシジマくんは
(チッ。つまんねーこと言いやがって。)
と思っているが、結構とんちが利いている。
ヤクザは笑いでも一本取る事で、相手の抵抗力を奪う。
ヤクザは悲哀にも通じているから、子分が昔馴染みの中華屋で死んだ両親の思い出を語ると、親分が追加でワンタンメンを二つ頼む。
「梶尾の両親のぶんだ。今度、墓参りに俺も連れてけ。」
追加で頼んだ分は別の子分に『全部食え』という無茶振りをオチにして、より一層哀を際立たせる。
ヤクザはなぜ、カタギに迷惑をかけたくないのか?
現在、日本には3万人弱のヤクザがいる。
一般人は自分一人対ヤクザ3万人と捉えるから、ヤクザが言う
「カタギに迷惑をかけるな」
というのを強い者の慈悲のように受け取るかもしれない。
だがヤクザからすると3万人対カタギ集団1億人という構図だ。
ヤクザは3万人といっても反目し合う組もあり、実質的には自分たちの組だけが味方だ。
動物の勘でヤクザは、カタギが恐ろしい集団だという事を知っている。
カタギは普段バラバラなように見えて、自分たちが脅威に晒されると意識が統一されたかのように固く結束する。
その群れがマジョリティで、直接ぶつかり合うのではなく社会性によって脅威を干上がらせて排除する。
その怖さをヤクザは知っているのだ。
ヤクザ組織は江戸時代より前から存在し、多くは重税や略奪から逃れた逃散民や家を飛び出した農家の三男坊などだった。
生涯独身で長男の奴隷をさせられるとしたら、誰だって逃げたくなるのではないだろうか?
だがそうやって逃げ出すと当時の戸籍制度から排除されて無宿人となり、あらゆる権利が奪われた弱者となる。
そういう弱者同士の互助組織として、ヤクザが生まれた。
組内が不穏な状態の猪瀬組の組長が子分に言う。
「差別に苦しんで生きてきた者。
他に行き場のない人間が選んだ最後の共同体が猪瀬組だ。」
ヤクザ組織の起源は生き延びるために逃げてきた人間の集まりだから、その組織内での殺しはご法度だ。
長い歴史のヤクザ組織は身内殺しのご法度を破ったら畜生の群れに成り下がって、人間社会の片隅にさえいられなくなる事を知っている。
ヤクザは優れているわけではない
ヤクザは相手を揺さぶり、その反応を見て押し込みやすいか否かを判断している。
これは特殊技能のように恐れられているが、わかる事はごく少ない。
カタギによる人格判断の方が、はるかに複雑な事を行っている。
ヤクザがマジョリティに圧殺されそうな理由
マジョリティとヤクザの間には、見えない約定が交わされている。
マジョリティはヤクザが自分たちに手を出さない代わりに、マジョリティからこぼれ落ちたものがヤクザに喰われるのは目をつぶる。
例えば歌舞伎町はマジョリティの域外だから、気の迷いでそこに足を踏み入れたものが被害にあってもさほど問題視されない。
ボッタクリバーの被害者は笑いものにされるし、風俗店が入っていた歌舞伎町のビル火災では44人もの死者が出たのに別世界の事として扱われた。
このようにマジョリティは、集団のルールから外れたものには冷たい性質を持っている。
これは意地悪なのではなく、一部を犠牲にして群れの安定を図る生存戦略からきている。
そういう微妙なバランスで成り立っているマジョリティとヤクザの関係が一変したのが、平成バブルの時代だ。
土地の値上がりに目をつけたヤクザが地上げ屋になって、普通に暮らす一般人を的にかけた。
その恫喝の様子がテレビを通じてマジョリティに共有され、一人一人が自分の被害のように捉えた。
それ以降ヤクザはマジョリティの敵とされ、様々な権利がはく奪されていった。
ゲーセンのメダルコーナーしか居場所のない老ヤクザは言う。
「ヤクザである限り
この国には居場所はねぇ。」