ホストくん編より(21~22巻)
人間社会で、なぜか自分からトラブルを引き起こさないと気が済まない人がいる。
彼らはトラブルを起こして他人からの反応がなければ、空っぽな自分の存在を認識できないのだ。
人間のなり損ないだから芯が通っておらず、脊髄の無いアメーバのようにグニャグニャとしている。
周囲の人に不快感を与えて、その反応を型枠にして自らの存在を形にしている。
昔からこういう人間に成りそこなった者を、出来損ないと言う。
トラブルを起こす半グレの鼓舞羅(コブラ)
地下鉄の待合所で、カップルが電車を待っている。
「ウエディングドレスの試着ドキドキする~~」
『ドキドキだね。』
「Aラインだから来月の結婚式まで太らないように気を付けなきゃ。」
『気を付けよう。』
男性は女性の言葉を繰り返す、受身のタイプ。
結婚間近なので空気のような存在になっているが、幸せなイベントに女性は心を躍らせている。
こういう幸せなオーラを放っている人たちに、輩(やから)は吸い寄せられていく。
全て他人が基準なので、他人が幸せな気分で上に行くと、相対的に自分の位置が下がって不機嫌になる。
トラブルをふっかけていく
「ふあっくしょい!!!」
(ビクッ…)
鼓舞羅のような出来損ないは、アメーバのように外殻がないので他人の弱気には察しが鋭い。
大きなクシャミにビクッとするカップルに、自分が悪意をぶつけるのに丁度いい相手だと感じる。
鼓舞羅は手についた鼻水を
「気持ちわる!!」
と言って、カップルの男性になすりつける。
男性が声をあげると
『何? 俺に上等コクのか!?』
顔を近づけてスゴむ。
相手の反応を見て反撃がないタイプだと読むと、徹底的に絡む事にする。
普通の人間社会なら、相手が引いたら自分も引くという暗黙のルールがある。
だが人のなり損ないのアメーバは、相手が引いたら自分が踏み込むという習性がある。
ガムを噛みながら舐め回すようにカップルの女性を見て
「ねェどこ行くの? 俺も連れてってよ。」
『……』
女性が黙っていると
「日本語通じる?
聞いてるンだけど」
女性が震えながら
『けっ…結婚式場に打ち合わせしに……』
「あー ケッコンすンだぁー。
そんなへにゃちん野郎でいいのォ~? 俺が満足させてやろーかぁ!?カカカカ!!」
カップルの男性は一言も言えず、うつむくしかできない。
その姿を女性は不満気に見つつ、結婚後の生活に不安をおぼえる。
鼓舞羅のような輩は、他人を不和にさせるのが得意だ。
不和の家庭の中で育ち、どうすれば不和になるのか肌で知っている。
もっと詳しく:『人を見抜く方法』不良少年の家庭には、よくわからないおじさんがいる
トラブルメーカーの末路
カップルの男性は、暴力に合理的な利益がない世界で育った。
暴力を振るえばケガや逮捕など、未知の事が起こるから躊躇する。
だが鼓舞羅はよく知っているから、捕まらないような使い方を心得ている。
カップルの男性が勇気を出して、電車が来るからとその場を立とうとすると
「まぁーだ来ねェーよぉ~~!! ペロペロォ~~」
と言って、女性に顔を近づける。
鼓舞羅は動物に育てられたかのように常識がない。
動物(アメーバ)として育てられたから、他人の人格・人権も考えた事がない。
そして最後に男性に噛んでいたガムを吐き出して去る。
楽しい気分を台無しにされて、無言になるカップル。
住宅街に迷い込んだイノシシと一緒だから、“なり損ない”の周辺ではトラブルが絶えない。
だが、動物並みの寿命なら上手くいく輩の生き方も、人並みに長生きをすると辻褄が合わなくなる。
中年になっても唯一の拠り所の暴力に頼ろうとするが、身体が縮んでいたりスタミナが落ちている。
その無理を押そうとして法的にボロを出し、40前後で逮捕されていく。
そして自由な野生動物から、管理された飼育動物になって生活する。
だが牢獄でガッチリとした型枠にハマる事は、まがりなりにも人として生活できるので、彼らにとって不幸な事ではない。
ヤクザの教育は、人間の型を作るところから始まる▽
コンビニ前でトラブルを起こす理由
ヤンキーくん編より(2~3巻)
基本的に人の成りそこないは、お金がない。
コンビニ前の地べたは人が物を食べる場所ではないが、動物だからアスファルトの上でも食べてしまう。
コンビニにタムロするのが好きなのはお金がないだけではなく、動物と人間との接点になっているからだ。
そこに居たらリアクションをくれる人間が通ってくれるので、長時間タムロして待っている。
人間の成りそこないは自分では人生のストーリーを進められないので、他人が人生を回すところに便乗する。
「おっ!エルグランド欲しいなぁ……」
座っていれば、人間の様々な文明を眺めることができる。
彼らが通る人をジロジロ見るのは、人間としての感覚が薄い事の裏付けだ。
無遠慮な視線が原因で、たまに同じような動物同士でイザコザが起こるが、それでも一般人に構ってもらいたがる。
人に何の反応もされないのは、自分が存在しないのと同じ事だからだ。
だから彼らの行動や言動には、放置子のような子供っぽさがある。
そして、その場にゴミを残して立ち去り、親代わりのコンビニ店員に片づけてもらう。
彼らがトラブルの種をまくのは、他人との衝突エネルギーによって、現状の泥沼から転がり出る事を期待しているからだ。
泥沼から出ても殆どは新たな泥沼だが、まれに乾いた場所に出る事がある。
そのわずかなチャンスに期待して、今日も人間社会に迷惑をかける。