ヤクザくん編(33~36巻)より
最近の出来の悪いドラマは、Vシネマを観てヤクザを描いているようで単純すぎる。
いつもずっと強面で、曲がった事が大嫌いみたいなウソ臭いキャラを作ってしまう。
実際はヤクザも人間であり、ふざけた所があり、日常生活だってある。
普通の人と同じような生活をする者が、ヤクザの仮面をつけて街に出ると、たちどころに一般人に害をなすのが怖いのだ。
人間としてのヤクザ
分解清掃後の銃の部品が足らず、遠くからヒモで引き金を引いて試すヤクザ。
まるで花火の導火線が途中で消えた時みたいに、ハラハラ・ドキドキのイベントだ。
こんな夏のキャンプの一コマみたいに、ヤクザも普通の人と変わらない感覚を持っている。
ヤクザ幹部の家。
ヤクザとして金を稼いで、家に調度品を置けるようになった。
だが悲しいかな、家庭生活の思い出が少ないから、部屋をどうすればいいのかわからない。
普通の家は生活を快適にしようと機能美を追及していくものだが、そんな経験がないヤクザはゴチャゴチャと調度品を置いて、居心地の悪い部屋を作ってしまう
調和がとれていない部屋に、その人の人生の歩みが出ている。
彼らは修学旅行で木刀を買ってしまう中学生の感性から成長していない。
ヤクザが飯作りにこだわるワケ
ヤクザの宿舎で、梶尾と一緒に食べるためのカツ丼を作る鳶田(とびた)。
3分間クッキングのテーマ曲を口ずさみながら
「やっぱ3分じゃあできねーわ」
「かつ丼どんどんどん♪ ご飯も炊けた♪」
と、どこか楽しそう。
味噌が切れているからおすましにするなど、なかなか器用だ。
そんな宿舎に、兄貴分の滑皮が顔を出す。
同じ釜の飯を食うの言葉通り、蔦田が作ったカツ丼を一緒にかきこむ。
ヤクザになるような育ちをしている者にとっては、うまい飯は重要な要素だ。
構成員候補の胃袋を掴むためにも、うまい飯作りは必要なスキルだ。
料理の段取りやセンスだけをとっても、ヤクザとしての機転や論理性がわかる。
バカな人は、やはり料理の仕方も要領が悪くて、出世もできない。
兄貴分の熊倉が下積み時代の滑皮をたらしこむ時に、自宅で飯を食わせていた。
熊倉は簡単なものと言いながら、オイルサーディンとネギを炒める。
ご飯は土鍋で炊いたものだ。
滑皮は、熊倉がわざわざ自分にひと手間かけた料理を振舞ってくれた事に感動する。
壊れた家庭環境の者は、食に飢えている。
そういう家庭では貧しくて食料が無かったり、親が子供を攻撃する手段として飢えさせたりする。
関連:弱者の世界は子供に厳しい
24時間待機・労働法ナシ・出来高小遣い制
心にポッカリと穴が開いた子には、情を注ぎ込むのが最も効果的だ。
家なき子を優しくたらし込むのは、慈愛の心からではない。
情によって縛り付ければ、後は何でもする兵隊になる。
都合よく使える構成員集めも、ヤクザの仕事の一つなのだ。
構成員は二段ベッドの粗末な部屋に、24時間待機。
何かあったらすぐに出動できる体制だ。
それでいて給料は出来高小遣い制。
こんなのを残業代もなく、労働法も無視してやらせることが出来る。
ヤクザが言う『若いの』という意味には、人格のない人形の意味が含まれる。
いざとなったら死んでもらうし、懲役にも行ってもらう。
若い衆を金だけで縛り付けても、こんな風に人生までは支配できない。
組長を親父と呼ばせ、先輩をアニキと呼ばせて疑似家族となる。
若い衆が欲しかった家族の情を与える事で、人生を支配する。
現実の極道
ヤクザも極めると、仏門に入ったのと同じように、境地に達して極道となる。
昔、山口組の竹中正久という組長がいた。
彼には愛人がいたが、女房と子供は終生もたなかった。
この世界にしがらみを残すとして、子供はいらないと言っている。
ヤクザには、親分から継いだヤクザの遺伝子が流れている。
血縁関係のない者が寄り集まって家族を形成しているから、実の子供を残すのは邪道だ。
そして彼は抗争で撃たれて、最後はゼロになるというヤクザの語源のとおり、チリ一つ残さずこの世から去る。
詳しく:第九章 裏社会の人間学(山口組組長 竹中正久)