テレクラくん編より(15巻)
42歳でギャルファッションのギャル代(吉永美代子)と、腹の出たおじさん野村の気持ち悪い恋愛。
中年が恋愛ではしゃぐのが気持ち悪いのは何故なのか?
自由とは言え、大人は分別が必要。
中年の恋愛はねっとりしている
中年の恋愛には爽やかさがない。
そこには、中年になってたまった人生の老廃物みたいなものを、誰かになすりつけようとする姿があるためだ。
「私ならまだ30代でいけるな!!」
⇒いけない。
若作りが痛々しいギャル代。
若々しいファッションというのではなく、毒々しいファッションになってしまっている。
自分の一番いい時であったのだろう頃のファッション。
いつまでも未成熟なままでおばさんになってしまったのだ。
未成熟なだけでなく性格も悪質なため、実の娘さえ距離を置いた。
だけど寂しいから、自分の客の一人の野村を個人的に必要とした。
野村に部屋の蛍光灯を変えてもらったり、安い花をもらっただけで、野村と商売抜きで付き合いはじめた。
この付き合いというのも気色の悪いもので、年相応の落ち着きがない。
人の自由とは言え、やっぱり違和感のある光景というものはある。
野村は離婚歴があり、今は再婚して子供がいるのにギャル代と関係を持っている。
純愛要素のカケラもない。
これが中年の恋愛の気持ち悪い所。
ドロドロしすぎでオイリーな感じに胃がもたれる。
ギャル代に安い花とか、1000円のニセ純銀ネックレスを上げたりして機嫌を取り、その都度、万単位の金を借りる。
ギャル代はウシジマくんから金を借りているのに、ぽんぽん貸してしまう。
野村は金の事を同僚に自慢している。
こういう中年だから、立ちションベンも平気でする。
立ち振る舞いが野良犬のよう。
中年の恋愛は、最後は泥仕合
野村がお金を必要としていたのは、若いスナックホステスに貢ぐためだ。
野村みたいなのはギャル代くらいしか落とせないのだが、妙な自信がある。
自分がおじさんになったという自覚がなく、いつまでも若い女に相手にされるものだと思っている。
だから行動が大人としての分別がなく、見苦しい振る舞いをする。
ギャル代も自分の娘が病んでも、利用しようとするのは変わらない。
二人とも自分の事だけしか考えられない。
こんな二人がまともな恋愛関係のはずがない。
ギャル代は自分の寂しさを埋めるために、妻子ある野村に依存する。
野村は若い女に貢ぐため、金づるとしてギャル代を利用する。
中年の恋愛は、恋愛の形をした泥仕合だ。
だから見ていて気持ち悪い。
結局、野村がギャル代を利用しているのがバレて、こういう人たちにお決まりの、殺せだとか死ねだとかのやりとり。
中高年になると人格も固まっているから、他人が入り込む余地がなくなる。
だから相手と融合して家族になるのではなく、条件や利害でつるむので、最後は衝突が起こる。