ギャル汚くん編より(4~5巻)
何かあると、渋谷はすぐに騒乱が起こります。
ハロウィーンもW杯も、祭りと言うより暴動に近いです。
街が常に変化しているから、そこに居るだけで自分も変わったと思える街です。
だから成長する事ができない、どうしようもない人が集まりやすいのです。
即席感覚の人たち
渋谷にできたラーメン店が、3ヵ月後にはケバブ屋になっている事はザラだ。
パパッと作って、ササッと撤退。
街の中に即席感覚が溢れている。
このギャルの努力はイベントでVIPルームに入るためにキバッて行くだけ。
化粧を楽しみ服を選ぶのが努力で、VIPルームに入れたらゴール。
VIPルームに入れたからといって、彼女が重要人物になれるわけではない。
ちょっとの努力で得られるのは、わずかな時間だけの優越感に過ぎない。
これもまた、即席の価値観。
渋谷に来れば、即席で自尊心を満たせる事がたくさんある。
だが宴の後には何も残らない。
ドンキでビニールのコスチュームを買ってハロウィンに参加し、終わったらコスチュームをバサッと捨てて帰る。
どうしようもない人たちの行動は、即席ばかりでゴミが多い。
トローンとした人
上の二人のうちの一人はトローンとしていて、もう一人はぼりぼりスナックを食べる。
運動や料理を作るのが苦手なのと同じように、考えることが苦手な人はいる。
そういう人はいつもトローンとしている。
運が良ければ癒し系と言われるが、大抵は利用されたりダメ男にひっかかったりする。
スナックを食べている方はお祭り感覚で食べ歩いているが、生活基盤である自分の地元では絶対にやらない。
生活空間でないため、ゴミは当然ポイ捨てする。
食べ方も汚いし、食べる場所もわきまえていない。
こういう人は家庭内で基礎的な教育を受けていないので、他の面でも常識がない。
口ずさんでいるのは何かの歌なのか
『夢~~♪』
と上機嫌に唄っている。
自分の生活空間ではなく、いくら汚しても構わない好き勝手できる環境は心地よいのだろう。
渋谷では散らかしても誰かが片づけてくれる。
子供の頃に親さえもやってくれなかった事を、誰かがやってくれる。
親の愛情が足りなかったコは、社会に甘えを求める。
男もどうしようもない
一人は酔いつぶれて寝て、放屁している。
もう一人はケータイをいじりながらぶつぶつ文句を言ったり、歌を唄っている。
なんの歌詞か不明だが
「俺~~♪ 俺~~♪ 自分LOVE」
と唄っている。
歩道でしゃがみこんで、自分以外の人の迷惑を考えない彼にピッタリの歌だ。
渋谷なら何をしても許されると思っている。
彼らがいる場所は渋谷駅のすぐ近くだ。
渋谷は駅を中心にして、谷底になっている。
雨が降れば道路に川ができて、水が流れてくる。
そういう土地は風水的にも悪い気が集まるというが、実際にあつまる人を見ると、そんなオカルトも現実味を帯びてくる。
渋谷から抜け出せない人たち
無責任になって、好き放題できる街。
自分が成長しなくても、街が変化するから成長したと錯覚できる街。
そんなまやかしの街から、いつまでも抜け出せない人がいる。
若いままでいられないのに、それを受け入れられずに年齢不詳の恰好をする。
個性なんてものじゃなく、異様という表現があてはまる。
子供がタキシードなど大人の恰好をするのは愛らしいが、大人が子供の恰好をするのは気持ちが悪い。
渋谷のハロウィンは土一揆
渋谷のハロウィンを現代の尺度で見るから、意味が分からず “若者” の迷惑行為と安直に結論づけてしまう。
正しく理解しないから、行政は適切な対応をできないでいる。
渋谷のハロウィンは、東京一極集中に怒る地方民の土一揆だ。
怒りの群衆だから車をひっくり返したり、破壊行為をして街を蹂躙する。
ハロウィン騒動で車をひっくり返した四人を逮捕してみたら
静岡県・福島県・山梨県・川崎市の民だった。
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内2名は東京在住だが、上京して長くても2年以内なので心は地方にある。
川崎市は別格なので、こういうニギニギしい事件の時は神奈川県ではなく川崎市で看板を張れる。
東京は江戸時代から地方出身者によって発展した街だから、地方と言うのに嘲りの意味はない。
裸一貫で上京して、立身出世を果たすストーリーで東京は成り立っている。
ここで “地方” を強調するのは、そこに東京まで土一揆に出張るエネルギーが詰まっているからだ。
たとえば山梨県の者は八王子の関所を突破して、渋谷まで打ちこわしに攻めあがってきたことになる。
自分の人生のストーリーが上手く回らない若者は、何かに原因を求める。
その象徴として君臨するのが東京だ。
地方でうっくつとした生活をしている者は、東京で暮らせば自分も変われると思っている。
自分が様々な理由で地元から出られないのに、東京に住む特権を得た同年代もいる。
この憤怒が土一揆のうねりとなる。
では、彼らはなぜ狂ったように渋谷を目指すのだろうか?
それは、地方には未だに『渋谷が東京のてっぺんだ』という情報が間違って伝わっているからだ。
1970年代にパルコ・109が出来て、渋谷に若者の足が向いた。
渋谷は使いにくい地形だったので、周辺は尖った感性の個人店が進出する余地があったので、多様な文化を発信する若者の街になった。
だが渋谷のブランドが確立すると、感性の鈍い大人たちに支配されて、今はつまらないチェーン店街に成り下がっている。
だから土一揆ハロウィンの民は、『渋谷には何もなかった・・・』
という事を悟り、虚しく自分の人生を反映したようなゴミの山を駅前に築くだけで終わる。
彼らはゴールが無いからズルズルと徘徊してしまうので、行政は米俵を積んだ土蔵をスクランブル交差点に設営すればいい。
ハロウィン一揆の民が打ち壊して、米俵を担ぎ出してフィナーレを迎える。