スーパータクシーくん編より(14巻)
児童会館の隅で座っている少女、沙耶(さや)。
いつも、へたりこむような格好で座っている。
沙耶は子供らしく活動的に遊ぶわけでもなく、擦り切れたズボンを履いて、ただ時間が過ぎるのを待っているだけ。
ストレス下の子供は、行動を控えて目立たないようにする。
動物がビクッとした時に身を縮ませるのは、脅威にさらされる部位を減らす防御反応だ。
なるべく身を小さくして、災難が通り過ぎるのを待つため、それがどこでも習慣になってしまっている。
服装や行動は、言葉の代わりにその子がどんな境遇にいるのかを発信している。
沙耶が出しているのは、SOSだ。
この女の子がキレイな格好をさせてもらえる時は、うれしくない時だ。
大人の意図があって、商品価値を高めさせられる時だからだ。
ダメなシンママの典型
佐々木美沙。
ダメなシンママは、母親である前に一人の人間としても半人前だ。
自分一人さえ持て余すのに、娘がいる時点で生活は破綻している。
こういう女は大体、ジョギング中でもないのに楽なジャージ姿に、足元はクロックス(穴あきサンダル)で街中をウロウロする。
関連:刈ベーの彼女のモエコ
その場に相応しい恰好をするという、他者から見た自分というものを意識する大人の感性は備わっていない。
大人の論理性がないので、単価が高い仕事に就けないため収入は不安定だろう。
服装だけを見ても、どういう人間・経済状況なのかは推察できる。
美沙は言葉遣いも汚い。
元夫の慰謝料頼みなのに電話で
「テメェ!電話すぐ出ろよ!」
感情的な言葉は子供の感性が優位なためで、服装と相まって美沙の未熟さがよくわかる。
高卒ですぐに蒲田のキャバクラに勤めた。
歌舞伎町・六本木のキャバクラは日常とは別世界だが、蒲田は生活の延長線上にあり、日常との境界があいまいだ。
そんな蒲田の街を象徴するかのように、すぐにデキ婚してしまう。
この流れを見てわかるように、美沙の周囲にはちゃんとした大人がいない。
親が教育を放棄したため、子供時代のまま人間の成長が止まっていて、人間として半人前の状態で暮らしている。
子供だからゴミ収集の時間を守る事はできないので、家庭のゴミをコンビニのゴミ箱に捨てようとするシンママ。
「クソォ 入らねーし!!」
「あの お客様
家庭のゴミは困ります。」
店員に注意されるが、その注意の仕方が常識的な場合、美沙のような人間はつけあがる。
親に面倒を見てもらわなかった子は、社会に甘えてわがままを言うようになる。
人間としての型がないので、言葉で説明しても伝わらない
優しく注意しても、効果はない。
親に甘えられなかった代償行為をしているから、自分のわがままを認めてもらえないと見捨てられたと感じて憤る。
「私は常連客よ!」
と言って、強引にゴミを捨てて立ち去る。
コンビニは24時間オープンしていて、いつでも受け入れてくれるので、親の代わりを求めて底辺が集まってきやすい。
シンママに寄ってくる男の程度
元夫に慰謝料の催促をする美沙。
「てめェが慰謝料ケチっから、
こっちは生活が苦しいンだよ!!」
以前、慰謝料でモメた時、元夫の会社に一日30件の電話を毎日かけた。
親に見捨てられた子は、その経験から他人に見捨てられる事を異常に怖がる。
赤ん坊なら泣き叫ぶが、大人は恐怖を感じると怒りに転じて攻撃的になる。
少し関係性が近づいた人がいると、見捨てられるのが怖くなって、石橋を叩くように攻撃してしまう。
だからまともな人は皆、美沙から逃げ出してしまう。
こんな面倒なシンママに寄ってくる男は、何か意図を持った者しかいない。
その一人が、ヤクザの根杜(ねず)だ。
こんな男でも、美沙はすがりついて捨てられないようにするしかない。
根杜を攻撃しないのは、恐怖を抱いているからだ。
ヤクザは構成員時代に、暴力で人間の型にハメられて教育される。
だからヤクザは、人間のカタがない者を従える術を知っている。
ギュッと服を掴んでいるのは愛情の証ではなく、見捨てられる事が怖いからだ。
溺れた者がワラを掴むように、根杜の服を掴んでいる。
自分一人でさえこのありさまなので、娘の事など気に掛ける余裕はない。
自分の娘の沙耶と根杜が、二人きりでいる部屋に戻ってくる美沙。
沙耶は根杜と一緒にいるだけで、小刻みに震えている。
彼氏に缶チューハイの青りんご味を買って来てと言われると、美沙は沙耶に命じた。
だが根杜は娘を行かせたくないので
「てめェが行って来い!!」
とシンママに命令する。
女としての価値は、既に娘の方が高い。
震える娘を残して、チューハイを買いに行く。
それでも美沙は娘を心配するのではなく、根杜を娘に取られる事を心配している。
美沙が産んだのは娘ではなく、不幸を繁殖しているのだ・・・