生活保護くん編より(24~25巻)
ナマポとは独身の生活保護受給者をさす言葉で、ナマケモノのニュアンスが込められた蔑称だ。
一度のつまづきでナマポに陥ってしまう人々の特徴。
ナマポ(生活保護)寸前の生活
29歳で無職の佐古彰(さこ あきら)は住んでるアパートの電気が止められて、生活保護寸前の生活をしている。
家賃も払っていないから、代行会社が回収に来ている。
大人の偏差値である年収は、その人の信用が数値化されたものでもある。
賃料の支払いさえ滞る佐古は、信用を落とすからさらに収入も遠のく。
居留守を使って佐古がやっているのは、携帯に録画したエロ動画を観ながらシコることだ。
適度に疲れる自慰行為は仕事をした気になるので、無職の人はノルマのように毎日する。
不安な時は自慰行為をすれば、しばし現実逃避ができる。
だが頻繁に自慰をしていると男性ホルモンが無駄撃ちされて、余計に気分が落ち込みやすくなる。
不安と自慰の負のループを繰り返して、それがひきこもり特有の生気のなさに繋がっている。
佐古は射精して性欲がひと段落すると、今度は食欲がわいてきたのでキッチンへ向かう。
何でも後回しにする無気力な彼らは、原始的な欲求に突き動かされた時だけ行動する。
「パン、パン・・・」
貧しくなる人は基本的に生活力がないから、調理の必要がないパンやカップ麺を好む。
佐古はゴミ捨て場みたいな部屋の中から、いつのものかわからない食パンの袋を見つける。
生きる上での基本となるお金を管理できない佐古は、当然のごとく食材の管理もできない。
食パンの袋から一枚取り出す佐古。
「カビ!?」
カビというのは食べられるのか食べられないのか、見ただけではよくわからない。
こういう場合、佐古はとりあえず口に入れて確かめるが、すぐに土みたいな味がして便所で吐き出す。
「おえっ!! おえっ!!」
貧乏な人が体を壊してもっと貧乏になるのは、野良猫と同じようにとりあえず口に入れて食べられるか試すからだ。
さっきまでは一食買えるだけのお金はあったが、佐古はどうしてもエロ動画が見たくて、最後のお金で電池を買ってしまったのだ。
こういった先のことを予測する能力の低さが、貧しさにつながる。
彼らは日常の小さなことでも優先順位の組み立てができないから、そういった毎日が積み重なって不安定なジェンガみたいな人生になっている。
誰もが将来の見通しを立てながら暮らす現代社会で、下位層に追いやられるのは目の前の快しか目に入らない刹那的な脳をした人たちだ。
関連:酒とギャンブルと性
小銭を見つける佐古
食べ物を買う必要に迫られた佐古は、散らかった部屋の中から貯めておいたつり銭を見つける。
これは計画的に貯めたというより、サイフがパンパンになったから小銭をゴミのように袋に詰めただけだろう。
こういうことをするからお金に嫌われて、佐古の元から離れていくのだ。
集めた小銭を持って佐古が向かったのは、雑貨屋みたいな100円ショップだ。
普通の人が間に合わせで文房具を買うような店で、主食を買おうとする佐古が手に取ったのは、やはり食べるのに手間のかからない食パンだ。
彼らはパン派・ご飯派という好みではなく、無気力だからパンを選ぶ。
佐古は小銭が入った袋を逆さにして、ほとんどが1円玉の硬貨をレジでぶちまける。
そしてレシートのゴミなどが混ざったままの硬貨を店員に数えさせる。
貧困に陥るのは客観的な視点の無い者が多いが、人生におぼれかけると余計に他人に配慮できなくなるから、彼らはオドオドした態度の割に行動は横暴だ。
店員は1円玉を10枚ずつ重ねて勘定するが、小銭を最後まで積み上げたところで2円足りないことが判明する。
「103円。2円足らない。」(イライラ・・)
佐古は事前に勘定もせず小銭を店に持ってきて、南無三とばかりに足りていることを祈って、レジの店員に勘定を丸投げしたのだ。
店員だって機械じゃないから、無意味な仕事をさせられればイライラもする。
だが佐古は自分がやったことには目を向けずに、被害感情だけを募らせる。
(あの目‥‥‥ 俺、悪い事したか?)
自分と相手のことを考えるのが二人称の考え方だとしたら、貧しくなるのは自分視点の一人称でしか考えられないタイプが多い。
客観的なものの見方ができないから、いつでも自分が一方的な被害者だと感じる。
生活福祉課に行く佐古
「生活保護を受けたいンです‥‥‥
所持金103円で、メシも食えません‥‥‥」ゴホッ‥ ゴホッ‥
佐古みたいな人がよく咳をするのは、ホコリまみれの部屋で過ごしているということもあるが、責めないでほしいという心理から無意識に病弱を装うことがあるからだ。
もはや肩書や年収など、自分の心を守る尊厳の壁がない彼らにとって、叱られるようなことがあったら耐えられないので予防線を張っている。
勇気を出して窓口のおじさんに窮状を訴えた佐古だが、20代だからまず自助努力が求められる。
『佐古さん、見た感じ、健康に問題はなさそうだし‥‥‥
まずはハローワークに行かれてみてはいかがですか?』
役所のおじさんは103円しか持っていない佐古が、職を見つけるまでどうやって食つなぐのかは考えてくれない。
あるいは普通の尺度で考えて、食事くらい面倒を見てくれる人がいると思っているのだろう。
だが貧しい人はお金よりも前に周囲の人間関係を失っているので、頼れるような人はいない。
生活保護の支給に否定的なおじさんの態度に、恐る恐る診断書を出す佐古。
「ずっと労働条件の悪い職場で月400時間残業代なしで働いて体壊しました。」
診断書に書かれている病名は機能性胃腸症というもので、これはストレスがかかると胃痛などを起こす病いだ。
ただし炎症や潰瘍などができているわけではないので、軽く扱われる。
親の世話になることを勧められたところで、佐古が社会的弱者になった理由が見えてくる。
「刑務所より実家が辛いんで…」
彼は労働条件が悪い職場のせいで貧困に陥ったわけではなく、育った家庭が原因でそういう職場にしか入れなかったのだ。
貧困の原因の多くは社会ではなく、その前段階の家庭にある。
佐古のような内向型の人間にとって自分をさらけ出すのは苦痛だが、親との関係を必死におじさんに話す。
しかし役所のおじさんは佐古の親戚ではないし、親がいるなら家族の世話になればいいという固定観念があるから同情しない。
『はいはい… とにかく
このままじゃ申請通りませんよ。』
おじさんは思考が一方通行だから、相談窓口には最も向かない人種だ。
恥を忍んで自分の内情をさらけ出したのに、上からモノを言う役所のおじさんに声を荒げる佐古。
「あんたらだって人の税金で食ってるくせにエラそーじゃないか!!
俺の払った消費税分は俺の為に働けよ!! バカ!!」
佐古は役人に言ってはいけない、「税金で食ってるくせに」を言ってしまう。
その時、興奮した佐古からブリッという音がする。
「え!?」
あわてて佐古が尻に手を当てると、ズボンの中で大便を漏らしてしまったことに気が付く。
漂う便臭に、手で鼻を覆うおじさん。
(臭っ。)
脱糞が恐ろしいのは、した瞬間にその人の肩書はリセットされて、ウンチそのものとして扱われてしまうことだ。
こうなると形勢は逆転して、ただの排泄物となった佐古は逃げるように役所から出るしかなかった。
佐古の診断書は胃痛をもたらす機能性胃腸症となっていたが、症状からすると緊張で下痢になりやすい過敏性腸症候群かもしれない。
便を漏らすことが1回2回なら笑い話ですむが、何度も漏らしていると自尊心が溶けていく。
これは大げさなことではなく、実は便のコントロールは人格形成に深く影響している。
(俺‥‥‥ 終わったわ‥‥‥)
人間は三歳くらいの幼児期に排便のコントロールをおぼえることが、自分の意志で生きる第一歩になる。
だからまともなトイレットトレーニングを受けていない放置子は、生涯に渡って人生が定まらないことが多い。『人を見抜く方法』第六章 年代の人間学
便が不意に漏れ出てしまう佐古もまた、大人の服を着ただけの幼児だから、まともな社会的地位が築けない。
生活保護の支援
佐古は図書館でインターネットを使い、生活保護の受給を支援するNPOを見つけて、代表者の嘉瀬(かせ)に会いに行く。
『君達は被害者だ。佐古くん。
派遣社員をコキ使って、経済が傾いたら簡単に派遣切り。』
落ち着いていてやせ型の嘉瀬(かせ)は恐らくSランクの大学を出たような、ハイスペックな社会活動家だろう。
競争が激しくて誰もが自分のことで精一杯の現代社会では、バランスを保つために時おり彼のような存在が生み出される。
半グレが悪魔だとしたら嘉瀬(かせ)のような人間は天使だが、どちらも社会から生み出された異質な存在という点では同じだ。
高学歴であっても嘉瀬(かせ)のような人間は叱咤激励ができないから、自分で会社を起ち上げて弱者を高給で雇うようなことはできない。
それどころか営利活動が苦手だから、一般企業で働いて自分の食い扶持を稼ぐことも難しいだろう。
彼はただひたすらに、社会から施しを引き出す役割の人間だ。
社会活動家も高スペックであれば、歳をとっても潰しが効いて教育機関などで働けるが、低スペックの場合は活動家自身が生活保護を受けることになる。
善でも悪でも、浮世離れした生き方は難しい。
嘉瀬(かせ)と共に再び生活福祉課に行く佐古。
ナマポに陥るのは社会に押し潰されて、交渉するような気力がゼロになった人々だから、交渉を第三者に代わってもらうと成功確率が高まる。
過去に何度も生活保護の申請者に付き添っている嘉瀬(かせ)は、役所でも顔が知られている。
(この人が騒ぐと面倒なコトになるンだよな‥‥‥)
減点主義の役所ではイザコザを避ける風潮があるので、おじさんはすぐに生活保護の支給を決定する。
今回の佐古のケースは上手くいった方だが、他人に助けを求めて問題を丸投げする者は、弱者ホイホイにひっかかることが多い。
牛丼を食う佐古
生活保護を受け取ると、早速牛丼を食べてしまう佐古。
彼らはよく「一人分だと弁当を買う方が安い」と言うが、それは食材の使いまわしなどの知恵が働かないからで、実際は一人分でも自炊した方が安い。
彼らの食生活を見ると米を炊く文化がないのかと思うほど、スーパーで半額寿司などを買ってしまう。
半額寿司は寿司としては安いが、食事としてのコストパフォーマンスは決して高くはない。
貧しい人の問題は収入が少ないことより、入ったお金の使い方に問題がある。
止められていた電気も復活して、当面の生活の見通しが立った佐古が始めたのは、自慰と食っちゃ寝の生活だ。
とりあえず飢え死にの危険性がなくなっただけで、ナマポに陥った人格が急に変わったりはしない。
佐古は自分で自分をマネージメントできないから、食欲・性欲・睡眠欲を満たすだけの毎日だ。
ただ食べてシコッて寝るだけの生活は、人間にとっては無間地獄のような日々になる。
好みの女性を見つける佐古
佐古は毎日を無為に過ごす中で、偶然に自分好みの女性を見つけた。
どんな底辺でも若い男子は繁殖を諦めているわけではなく、むしろチャンスが巡ってこない分こじらせている。
女性の後をつけて、電柱から様子を伺う佐古。
ちかんまがいの佐古が隠れた電柱には『ちかんに注意!!』というプレートがつけられているが、こんな風にウシジマくんには読者がツッコミを入れるインタラクティブ(双方向)な仕掛けが随所にある。
妊娠したら出産まで働くことができない女性は、本能的に男性に経済力を求めるから、ナマポの男は最初の審査で弾かれる。
それでも生物のオスとしての佐古は繁殖を求めている。
(あんな娘と・・・ 死ぬまでに、一度でいいから、セックスがしたい。)
佐古は女性が住んでるマンションまであとをつけて、藤代彩花という名前であることを突き止める。
リアルでの佐古の行動力はここまでで、後はネットで藤代彩花のことを検索してSNSを見つける。
それからは食事と自慰に加えて、藤代彩花をネットでストーキングすることが一日のローテーションに加わった。
彩花の投稿は仕事に関することが中心で、佐古はそれを布団でドーナツを食べながら見て、普通の人の日常に触れている。
「働ける人が働いて 弱ってる人を助けなきゃ……
だって、支え合うのが人間だもの…」
ナマポの人は自分も他の人と変わらないと思いたいから、「支え合う」「助け合い」などと相互扶助的なことを言う。
だが実際は乳離れができない赤ちゃんのように、彼らは一方的に扶養してもらうだけだ。
さらに佐古は平日の彩花の仕事ぶりを思浮かべている内に、性欲をもよおしてシコった。
彩花の存在は佐古が自立するモチベーションにはならず、単にいつものオナニーの味変(あじへん-味を変化させて楽しむ)にしかならなかった。
ストーカー寸前の佐古の愛情表現は主に嫉妬で、彩花が高校の同級生たちと会った時の写真の中に、男がいるだけでビッチ呼ばわりする。
こういった弱者男性が女性に敵意を抱くのは、セックスの機会は平等に与えられるべきだと思っているからだ。
表面的にはイケメンに叶わないと思っていても、心の奥底では小学校の給食のように、女性は平等に配られるべきだと思っている。
弱者男性の思考は甘えと妬みが入り混じっているから、自分たちの順番を飛ばす不平等な女性に怒る。
ドキュンバスター
佐古はナマポで腹が満たせるようになると、今度は自尊心を満たしたくなった。
そこで彼が始めたのは、ネットでやんちゃ自慢をしているようなDQN(ドキュン-迷惑者)の住所を特定して晒す、ドキュンバスターという活動だ。
社会に適応できない人は、それでも自分は正当な存在だと思いたいから、不当な存在を強く糾弾する習性がある。
誰かを自分以下の存在にしたいから、不当とまで言えないような小さなことでもアラを探して叩く。
ドキュンバスターは就職できない佐古のような人間だったり、あるいは仕事に就いていても評価されていない人々がなる。
彼らの正義感は、他人を責める時にだけ使われる。
ケースワーカー
生活保護を受けると家に定期的にケースワーカーが来て、自立を促される。
『人と会わなかったり外に出なくなると働く意欲もなくなるし、本当の寝たきりになってしまいますよ?』
ケースワーカーの言葉は説教にしか聞こえず、佐古は具合が悪いことをアピールするように横たわってしまう。
ナマケモノで腹立たしい態度に見えるが、佐古の反論にも一理ある。
「僕らに紹介してくる仕事は誰もやりたくない仕事じゃないですか。
みんながやりたくない仕事をどうして僕がやらなきゃいけないンですか?」
社会を回すためには、賃金が安くて誰もやりたくないような職に就く人間が必要だ。
えた・非人などの被差別階層がいなくなった現代、そういった職に回されるのは生まれつき知力や体力の劣る者だ。
それでも働いている内は人間社会の片隅にいられるが、働かないナマポは忌み嫌われて、社会の中で穢れ(けがれ-不浄)のように扱われる。
そんなナマポと社会の間に入っているのがケースワーカーだ。
佐古はケースワーカーと会うたびに被害感情を募らせるが、ケースワーカーの職に就くのは決して意地悪な人間ではない。
むしろ志を持った部類の人たちだが、佐古のような無気力な人間の毒にあてられて、ケースワーカーも疲弊していく。
生活保護がなくなる!?
佐古はケースワーカーに詰められた被害感情を紛らわすために、SNSにグチを書いた。
すると同じく生活保護を受給している『めしあ』という人物からの返信で、生活保護法が変更されるかもしれないことを知る。
「この生活がなくなる!? ふざけンなよ!?」
不安感からめしあに誘われるままに、生活保護受給者のオフ会に参加する佐古。
集合場所はアパートの一室で、ぬーべーという男の部屋だ。
『もふーっ』
頭がまどろんでいる人は脳のアイドリング音なのか、断続的に『もふーっ』とか『むぉーん』などの余計な声が漏れ出る。
ぬーべーはハダカデバネズミのような顔をしていて、ナイロン100%の服は常にシャカシャカとうるさい。
佐古の部屋と違ってぬーべーの部屋はキレイで、冷蔵庫には張り紙が貼ってある。
【お母さんありがとう。
お父さんありがとう。】
佐古は親子関係の不和が原因でナマポになったが、ぬーべーはそんな風には見えない。
ただ生活保護受給者は親も貧しくて、子供を扶養できないケースが多いから、ぬーべーの親も裕福ではないだろう。
それにぬーべーの顔が整っていないことからも、両親が社会的な強者ではないことが伺われる。
自由恋愛の世界で少しでも強い子孫を残すために相手を吟味するのは、上位層の男女にだけ許さたもので、下位層には選択肢がない。
愛ではなく妥協で掛け合わさった両親の劣勢は、凝縮してぬーべーに継がれた。
ぬーべーは掃除などの基礎的な生活力はあるが、それでもナマポということは知力に問題がある可能性が高い。
恐らくぬーべーは知的障害として保護されないが、普通の人と混ざるとギャップが目立つ、IQ70台の境界知能だと思われる。
ぬーべーはたまに落ちる日があるが、これは能力が低くても親を恨まず、貧しさを社会のせいにするでもないので、行き場のない憤りが自分に向かうためだ。
生まれつき能力の低い彼らの社会人生活は、どんなに努力をしてもビリになる競技に強制参加させられているようなもので、自尊心が削られていく。
彼らは社会に出て数年もしたら、打ちひしがれて挑戦を避けるようになる。
めしあ
ぬーべーより頭が回るめしあだが、いじめのために小学校から不登校でひきこもりだ。
人は子供の頃から異質なものを排除しようとする習性があるので、マジョリティ(多数派)が思う『普通の枠から外れた子』がいじめに遭いやすい。
この基準は小学生くらいだと時に理不尽で、群を抜いて可愛かったり正義感のある子が標的になる事もある。
生活保護の先輩であるめしあたちは、無為な日々を埋める手段を持っている。
彼らは脱法ハーブの吸引を覚えている上に、それをエサにキメセク(ハイな状態でセックス)用のメンヘラの女も確保している。
生活保護のオフ会グループの中では知恵が回るめしあは、制度を利用して小遣い稼ぎをしている。
生活保護受給者の医療費は免除されるから、無料で向精神薬を仕入れてハイになりたいヤカラに売りさばいている。
めしあはこのあたりの倫理観が飛んでいて、共感性の無さも目につく。
彼は自分の友達以外の人間は、どーだっていいと言っている。
こういうドライな共感性のなさが、小学校時代に排斥された原因かもしれない。
めしあはハンデを抱えた人間は自分と同じ側という認識だから、佐古が脱糞しても排除しないで、むしろ仲間として迎え入れた。
起業を目指す
めしあが仲間を集めていたのは、起業をするためだ。
自分たちが勤められる会社がないなら、起業をすればよいという飛躍した考えだ。
稼ぐことの道理を知らない彼らは、起業とか副業に一発逆転の夢を抱きがちだ。
一般社会との関わりを断って生きてきて彼らは、起業を目指すにしても頼れる人脈は貧弱だ。
三人で地方の寂れた街に行き、めしあの知り合いで活動内容があいまいなNPO法人をやっている丸井を訪ねた。
『東京からよく来たね、飯野(めしあ)くん』
丸井のNPOはひきこもりを集めて、よくわからない品ぞろえの店と何でも屋をやっている。
丸井は新顔の佐古に目をつけて、挨拶の仕方に文句をつける。
『それが挨拶か?』
元々がニートの丸井も出来た人間ではないから、上司というより部活のウザい先輩のようにしか振舞えない。
底辺の世界には管理職の資質を持った人材などおらず、マウンティングだけで構成されている。
丸井はガイアの夜明け(ビジネス系のテレビ番組)にでも感化されたのか、佐古たちに顔を売るために老人の家をまわり、無償の靴磨きをするように命じる。
佐古が理由を聞いても、丸井自身がピンときてないから説明できない。
『なぜ? 理由は自分で考えろ。』
こういった活動内容があいまいなNPOは、一般社会ではバイトリーダーにさえなれない人間が立ち上げる。
NPOは非営利団体の意味だが、稼ごうと思っても稼げない丸井みたいな人間は、「自分は金儲けに興味はない」という言い訳にNPOを使う。
能力の低い彼らでもNPOを運営できるのは助成金があるからで、これは形を変えた生活保護と言える。
丸井のNPOには常駐のメンバーがいるが、何でも屋の依頼は殆ど入らず、紙を折る作業で時間をつぶしている。
常駐のメンバーたちの態度は頑なで、めしあが手伝いを申し出てもコミュニケーションを遮断するように断る。
自尊心というプロテクターがない彼らは、人と会話をして僅かでも否定されることを恐れている。
メンバーも丸井と同じように元ニートだから、空気が読めないめしあに過去を詮索されると黙り込んでしまう。
こういった人々を集めて丸井が世話をしているように見えて、彼らのおかげでもらえる助成金に助けられているのは丸井の方だ。
こんな非合理的なNPOで理屈っぽいめしあが数日働いていれば、不満の種が生まれるのは当然だ。
めしあは丸井を見下すように、自分の事業の方が上手くいくと言う。
ナマポも惰性のNPOも目クソ鼻クソで、似ているからこそ嫌悪し合う。
社会から外れる人たちには社会性がないので、少し人が集まるとすぐに仲たがいを起こす。
丸井を怒らせ、ケンカ別れのようにめしあたちはNPOを去る。
『お世話になりましたぁ~丸井さん。
お礼に、俺が会社立ち上げたら従業員として雇ってあげますね~!』
めしあは不快の感情を処理できないから、自分が何かを言われたら相手に不快な感情をぶつけないと気が済まない。
集団の中で働くには不満を溜める堪忍袋が必要だが、めしあにはそれがないため集団から排除される。
事業計画を出すめしあ
めしあは助成金の申請のために役所に事業計画を提出するが、にべもなく断られる。
普通の社会人であれば案を突き返されるのは通常のプロセスで、そこから案を磨き上げることで企画力が高まっていく。
だがめしあは不登校のために普通の成人が受けた試練を何も経験していないから、事業計画が否定されることに耐えられない。
普通そうに見えるめしあも、やはり社会で生きるには精神が脆(もろ)すぎる。
ナマポに対する社会の目
生活保護の受給者に配られる無料乗車券を使った佐古は、バスの運転手や他の乗客から軽蔑のまなざしを感じた。
佐古は気のせいだと思おうとしたが、実際にマジョリティ(社会を構成する多数派)はナマポのことを、バスと同様に社会にタダ乗りしていると思っている。
マジョリティが認める生活保護のラインは、死別によって夫を失った母子家庭で、補欠で離婚家庭くらいだろう。
それ以外のナマポは、冷ややかな目で見られる。
生活保護受給者が浴びる視線には、不正受給に対する疑いのまなざしも含まれる。
佐古のように外見からは見えにくい障害だと、なおさら不正受給を疑われる。
生活保護の不正受給者
ケースワーカーによると、不正受給者はお金の使い方でわかるのだそうだ。
たとえばこの女は保護費とは別に身体を売って稼いだ金で、ブランド品を買ったり築地まで刺身を買いにいくのだそうだ。
それに対して本当の受給者は、ノーブランドの普段着さえリサイクルショップで買い、日常の行動も異様だ。
彼らはリュックやポーチに障がい者手帳や通帳など全財産を詰めて、なくさないよう肌身離さず持ち歩くのだそうだ。
こうった姿に本当の受給者がいかに社会の中で失敗をして、打ちひしがれてきたのかが伺える。
人並みに行動すれば手痛い失敗をするから、彼らは食べて寝ての繰り返しで平穏無事な日々を過ごそうとする。
現代の身分制度
現代社会で誰もが認められている、職業選択の自由があてはまらない人はいる。
たとえば佐古のように頻繁に便意に悩まされる人間は、選べる職業が大きく制限される。
もし彼が工場勤務をしていたら、便意の度にラインが止まってしまうから、下限の人間は切り捨てられる。
そんな彼らが就ける仕事は、社会の誰かがやらないといけないが、誰もやりたいと思わない仕事ばかりだ。
いわば現代の奴隷身分のようなもので、彼らはマジョリティが快適に暮らすために存在している。
野生動物の群れでは肉食動物に追われた時、弱った仲間を犠牲にして群れの存続を図る。
これと同様に人間の社会も弱い者を犠牲にして、優秀な人間が繁栄するようになっている。
弱者の人間も子孫を作ることはできるが、自由恋愛という巧妙な仕組みで不出来な人間が増えすぎないようになっている。
『女から見たら生活保護なんてありえない対象だろ?
生きてるけど生殺し。
これ以上発展するなって言われてる気がする。』
あるいはめしあのように他人への共感力が低い者も、マジョリティの群れから弾かれる。
表現の自由を認めたとしても、目の前でめしあに暴言を吐かれれば誰でも傷つく。
もし彼らを受け入れるとしたら、多くの人が眉間にしわを寄せて我慢することになる。
ならばマジョリティの輪の中から追放してしまえばいいというのが、合理的な人間の群れの考え方だ。
このように自由恋愛・職業選択の自由・表現の自由と、自由なことが増えるほど集団にそぐわない人間が浮き彫りにされていく。
こういったマジョリティからこぼれ落ちる人々は昔からいて、男ならタコ部屋(住み込みの土木作業)、女ならゴザ敷きの路上売春婦などの職に追いやられていた。
そういう社会に好ましくない人物を隔離するエリアの一つとして、歌舞伎町は機能している。
弱者の仕事はマジョリティが見たくないもの、やりたくないことに限られ、それに耐えられない者がナマポに逃れる。
つまりナマポとは、現代の逃亡奴隷だ。
持ち場から逃げられないマジョリティは、ナマポを認めないことで自分の中に芽生えそうになる、逃亡の誘惑を抑えている。
生活保護から抜ける難しさ
他人に依存をしていると、ありったけの不幸話をして哀願するような目を向けて、相手の施しにすがるようになってしまう。
「親にも友人にも行政にも…誰にも頼れません…
もう死ぬコトばかり頭に浮かんで‥‥‥」(ジッ・・・)
弱者は余裕がないあまり、相手の負担などお構いなしに自分の問題を丸投げしようとする。
だが憐れな子犬のような目をしても、信用も発展性もない大人を助けてくれる人など滅多にいない。
仮に助けが得られたとしても、自主的に動くよりも他人に任せた方が上手くいくという、他力本願の成功体験を重ねることで、ますます依存心が強くなる。
生活保護は制度的にも難があり、13万円の保護費を受け取っている時に5万円を稼ぐと、保護費は5万円減額されてしまう。
精神力がゼロの状態でナマポに辿りついたのに、社会復帰するには13万円の壁を超えるまで、働いても働かなくても一緒という誘惑に勝たなければならない。
だから一度ナマポに嵌まると抜けられなくなり、マジョリティに生きる権利を訴えながら、減額されないようにするしかなくなる。
そんな中で佐古は足掻き、何とか自立しようと努力する。
本ブログでは読者の漫画を読む楽しみを奪わないために、結末は原作に譲る。